ロボコンブログ

高専ロボコン — 新山龍馬

ぼくの高専生活はロボコンを中心に回っていました。1年生のときに初めて先輩に機械加工を習ってから、5年生になって後輩を見守るようになるまで、毎年それぞれちがうロボコンがありました。

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高専に入る前から、テレビで放映される高専ロボコンが大好きでした。高専生達のアイディア、集中力、競い合いに、すごく感動しました。でも、番組の限られた時間で取り上げられるのはふたつみっつのドラマです。ロボコンに参加すると、そこには無数のドラマがあります。操縦ミスで負けてしまったチームの操縦者が、舞台裏の隅でひとりうずくまって泣いているのを見ました。何ヶ月もかけて作っただろうロボットが、試合ではぴくりとも動かなくて負けたチームが、決勝戦の裏で、黙々と帰る準備をしているところを見ました。優勝して全国大会に進むチームに、果たせなかった夢を託す学生達がいました。

ロボットコンテストにもいろいろありますが、高専ロボコンのいいところは、ルールが毎年変わることです。しかも、あるときは輪投げ、あるときは騎馬戦、というようにルールは劇的に変わります。それはつまり、誰も作ったことのないロボットを作るチャンスがあるということです。自分たちの創造力が試されている、と思うとわくわくします。ロボコンに限らず、新しいルールに対応できる力は大事です。それは、新しいルールを作っていく力につながっていくと思います。

失敗もありました。先輩が引退して、初めてレギュラーメンバーとして参加した1998年のロボコンは、地方大会1回戦敗退、惨敗でした。勝ち進んで行くチームがただただまぶしくて、みじめでした。次の年は、チームメンバーにも恵まれ、勝てる予感がしていました。そういう予感は、どれだけ考え抜いたか、どれだけ改良を繰り返したか、どれだけ試合前に抜かりなくマシンを整備したか、そういう事実の積み重ねです。その年は、国技館で行われる全国大会に進み、準決勝で敗れたけれど、技術賞をとりました。相撲中継でしかみたことがない国技館、お相撲さんのためのトイレが大きかったのを覚えています。試合に臨む前の支度部屋の熱気、すべてが終わったあとに人がいなくなった会場のさびしさ、思い出のロボコンです。ロボコンのすべてを悟ったような気持ちでいましたが、次の年の試合では、あっさり敗北しました。「ロボコンに王道なし」です。

高専を卒業してから大学に編入学したぼくは、大学ロボコンに参加し、飽きずにロボコン三昧の生活を送りました。その一方で、新しい目標を持ちました。それは「生物のようなロボットを作る」ことです。ぼくらは、ロボコンに出場するロボットを「マシン(機械)」と呼んでいました。なぜなら、どんなに複雑でも、それはあらかじめ仕組まれた動きをするものだからです。何年もロボコンをやって、大体思い通りのマシンを作れるようになって、未知なものに取り組みたくなった。「生物のようなロボット」は十分に歯ごたえのある、学術研究になり得る課題です。

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生物といっても幅広いですが、ぼくが興味を持ったのは身近な脊椎動物、つまり人間や犬猫でした。動物は、現在の機械には不可能な、しなやかで巧みな動きができます。動物は、歯車で動いていないし、金属製でもありません。ぼくは、解剖学や獣医学、スポーツ科学の本を読みあさり、新しいロボットを設計しました。最初は猫のようなロボットを目指していましたが、時間と技術力が足りず、後足しか作れなかったので、カエルにそっくりなロボットになりました。このロボットは、電磁モータではなく、空気圧人工筋というもので動いています。 https://www.youtube.com/embed/cs70YDdppjk

ジャンプロボットの次に取り組んだのは走るロボットです。走るロボットをつくるのは、力強いハードウェアを作ることと、巧みな運動制御を合わせなければいけないので、非常に難しい仕事でした。やり方は、ロボコンとあまり変わりません。試作をする、うまくいかなくて悩む、工夫する、という繰り返しです。走るロボットを実現するには、筋肉だけでなく、アキレス腱のバネも重要だということに気づいて、とうとう完成したのが「アスリート・ロボット」です。 https://www.youtube.com/embed/bXqUjiNw8fo

これらのロボットの研究で博士号をとり、ぼくは「ロボット博士」になりました。そしていまは、ボストンにあるマサチューセッツ工科大学で研究を続けています。MIT の中には、自動車並みの速さで走ることを目指すダチョウロボットや、チータロボットの研究をしてる研究室があります。ボストンには、BigDog や PETMAN を開発した BostonDynamics もあります。そんな中で “My Robot is Better Than Your Robot” といえるように、悩みながら、新しいロボットを作ろうとがんばっています。これからも、相手もいないような、アイデア対決・ロボットコンテストを、生涯をかけてやっていたいと思います。

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プロフィール

新山龍馬
— MIT研究員、熊本電波高専(現 熊本高専)OB
1997年   国立熊本電波工業高等専門学校 電子制御工学科に入学
1997年   「花開蝶来」で見習いとしてロボコンに参加
1998年   「生命上陸」でチームを作るも地区大会敗退
1999年   「ジャンプ・トゥー・ザ・フューチャー」で操縦者として全国大会に出場、ベスト4、技術賞を受賞
2000年   「ミレニアムメッセージ」に操縦者として出場、地区大会優勝、高専ロボコン引退
2002年   熊本電波高専を卒業、東京大学工学部 機械情報工学科に編入学
その後大学院に進学し、博士号取得後の2010年に渡米。MIT CSAIL および MIT Media Lab で研究員として生物規範型ロボットや、コンピュータ・インタフェースの研究に従事。