今も”ロボコン”継続中!(1) — 白久レイエス樹、阿嘉倫大、中野桂樹
プロフィール
白久レイエス、阿嘉倫大、中野桂樹
— TEAM SKELETONICS、沖縄高専OB
●白久 レイエス 樹(写真・中)
(しろく れいえす たつる)
05年 沖縄高専機械システム工学科入学
08年 高専ロボコン「ROBO-EVOLUTION 生命大進化」リーダー。
12 年東京大学大学院 新領域創成科学研究科
海洋技術環境学専攻 修士課程入学。
13年10月スケルトニクス株式会社設立
●阿嘉 倫大(写真・左)
(あか ともひろ)
05年 沖縄高専機械システム工学科入学
08年 大会では設計を担当。
14年現在 首都大学東京 ヒューマンメカトロニクス
システムコース システムデザイン学部 4年休学中。
●中野 桂樹(写真・右)
(なかの けいじゅ)
08年入学 沖縄高専機械システム工学科入学。
大会では加工を担当。現在同校休学中。
2013年高専ロボコン全国大会にはOBも参加。準決勝・決勝戦間の観客参加アトラクション「フレー!フレー!ロボどーも!*1」で「ロボどーも」実機の脚を製作してくれました。
製作者は08年の大会「ROBO-EVOLUTION 生命大進化」の優勝チーム沖縄高専の 中野 桂樹さん、阿嘉 倫大さん、白久レイエス樹さん。現在は「スケルトニクス」という会社も立ち上げ、動作拡大型スーツ「スケルトニクス」で、2013年度グッドデザイン賞を受賞するなど各方面で注目を浴びています。
今回は大活躍の彼らに高専ロボコン優勝までの「そこまでやるか?!」といった努力の数々、鋭い分析、会社設立までの紆余曲折・・・たくさんお話を伺いました。全3回に渡ってお送りします。
*1「フレー!フレー!ロボどーも」準決勝と決勝戦の間に行われた観客参加アトラクション。
ロボコンのイメージキャラクター「ロボどーも」の実機を動かしました。
より詳しい当日の様子はこちら(skeletonicsページ)
ひさしぶりの全国大会は「心臓に悪い」?!
今回どういう経緯で、ショーに登場するロボットの技術協力をすることになったのでしょうか?卒業してもロボコンと関わっていたんですか?
レイエス
高専卒業後、 東大の大学院で海中ロボットの研究をしていたんですが、そこでNHKの自然・科学番組の深海プロジェクトと一緒に船に乗ることになったんです。そうしたら08年当時高専ロボコンの担当をしていた方が、偶然深海プロジェクトの担当になっていて、船でお会いしたんです。その時に自分たちが『スケルトニクス』という団体を立ち上げて、ロボットを作る活動をしています、という話をしたら覚えていてくれて「2013年の全国大会のショーをやってみないか」と 事務局が声をかけてくれました。あと僕、名前が「白久レイエス樹」で読みづらかったのと、当時FAQにめちゃめちゃ送っていて、それで名前を覚えられていたんです(笑)
阿嘉
今は1回5個まで、と質問回数が限られているみたいだけど、僕らの頃は制限がなかったんです。だからひたすら送ってたよね(笑)
レイエス
毎日送ってた。後からロボコン事務局の間で噂・有名になってたって聞きました(笑)。そういうのもあって、覚えてもらっていたのかも。
ロボどーも 開発、やってみてどうでした?
中野
ロボコンの時は学校の設備が自由に使えるアドバンテージがあったけど、今回は学校の助けは借りずにやったので、そこがけっこうチャレンジでした。
阿嘉
機構は08年のT-Rexを簡素化してシンプルにしました。人数もロボコンみたいに大人数ではなく、僕ら3人だったので、パーツは外注して、加工に極力労力を使わないように計画しました。
ひさびさの国技館だったと思うけどどうでしたか?
中野
ピット、めちゃめちゃ疲れますね。ぴりぴりした空気が。あー、この空気だ!って。心臓に悪い(笑)
阿嘉
当時をかなり思い出したね。
レイエス
ここに自分たちのマシンがあったな、とか重ね合わせてね。
阿嘉
現役チームはきっと競技で精一杯で、アトラクションどころじゃなかったと思うから、一般のお客さんが喜んでくれていたら嬉しいですね。
「高専の嫌なところって、卒業したら絶対できないとこ」
そもそもなぜ、進学の際、高校ではなく高専を選んだんですか?
レイエス
小さい頃からロボットが好きだったんです。小4ぐらいからハンダ付けやったり、通信教育や工作キットで回路とかを作っていました。
阿嘉
僕ももの作りが好きで。機械に興味があったので、進路を決めるときに普通に選択肢として選びました。
中野
自分は小さいときから「レゴブロック」とかで遊んでて、幼稚園の時も「将来の夢」にカタカナで「エンジニア」って書いていたり。高専に入るか、大学で工学をやるか考えたんですけど、高専に行ってみたらめちゃめちゃ面白そうだったですよ。設備が全然違う。校舎が新しくて、でっかい工場がボンってある。一回見たらここに行くしかない!って思ったんです。
ロボコンのことはその頃知っていましたか?
レイエス
小学校のときはあまり記憶がないけど、中学校の頃はよく覚えています。映画のロボコンもやっていたので。あと、僕は中学校のロボコン部も立ち上げた経験があって、「中学ロボコン」という大会が小さいけどあるんです。有線で繋がっていてロボットでフィルムケースとか運んだりするんですが。
中野
僕も中学生のとき中学ロボコンやってました。
レイエス
僕、中学ロボコンに参加していたときの、中野のこと覚えてますよ。そのときの中学ロボコンの会場が沖縄高専だったので、彼のチームを見に行きました。作ったロボットもまだ覚えています。ロボットばっかり見ていたから、彼の第一印象とかはあんまり覚えていないけど(笑)
当時、沖縄高専は新しい学校でしたよね? ロボコン部はどういう感じだったんですか?
レイエス
僕と阿嘉は05年に入学して、2期生だったんだけど、1つ前の学年がロボコン部を立ち上げていました。
阿嘉
環境が整っているわけではなかったから、活動場も方針も二転三転しながら。1年目は対戦相手がミスしてくれたから勝てて、2年目に僕らが1年生で入ったときは、A・Bチームとも1回戦負け。3年目からけっこう力をつけてきて。1期生のリーダーがひっぱってくれたので、全国大会に行けたかな。
レイエス
それで自分たちが4年生で主力になったときに、今年はどうするかと。
阿嘉
すごく勝ちたかったんです、みんな。高専ロボコンの嫌なところって、卒業したら絶対できないということ。他のロボコンには大人も出られるものがあったりするけど、高専ロボコンは学生時代しかできない。だから「今年は全国優勝目指して運営していこう」みたいな確認と作戦会議を4月のルール発表前から始めていました。
中野
勝つことを基準にすると色んな判断ができるんです。技術者としては追い求めたいけど、これは勝つためにはやらなくていい、とか。
阿嘉
決断しないといけないときに、何を基準にするか、というのがすごく明確になる。「どっちが優勝に近づけるか」で見ればいいだけなので。
ロボコンの出場チームは「上」「中」「下」
ではそこから優勝までの道のりをば。
レイエス
毎年スタイルは違うから、08年の僕らの年に限ってということで。
阿嘉
まずは過去の大会を相当分析しました。当時の分析なんですけど、僕の考えでは出場チームは大体「上」「中」「下」の3つの層に分かれている。
一番下の層は・・・ ・・・。技術力が足りなくて課題をクリアする、もしくはレギュレーションをクリアするのでいっぱいいっぱいというチームってありますよね。その上に中堅がいて、誰もが思いつくアイデアをきちんと実装して、それを練習していくことで勝ち進むチーム。さらにその上があって、ごく少数だけど「なんでこんなアイデアを思いつくんだろう」っていう際立ったものがあるチームがある。ここのチームはもう次元が違ってすごいんですけど。けど過去の大会でどういうチームが勝っているかというと、この「上」ではないんです。「上」はすごく難しい技術を使っていたり、ぎりぎりの所に挑んでいるので大会でトラブルが起こるとリカバリーできずに負けていったりする。
中野
技術的にはめちゃめちゃすごいんだけどね。
阿嘉
完璧にされると勝てないんだけど、完璧にできないんですよ。で、たいてい優勝しているのは、この「中」の層を限界まで洗練させたマシーン。基本形を完璧に作って、圧倒的な練習量や改良を積み重ねて。そんなマシーンが優勝には近いんじゃないか、っていうのが当時の分析だったんです。
レイエス
なぜこういうことがおきているかというと、コンテストといいつつ、ロボコンは競技会のようになっていますよね。例えば絵のコンテストだったらトーナメントはないけど、ロボコンはトーナメント戦だから1回負けたらそこで終わり。だから勝ち進まないといけないんだけど、優勝しているチームを見ていると、練習量がめちゃめちゃ多いとか、ミスらない。
阿嘉
けっこう練習も大事。ものづくりしている人達は、完璧なマシーンを目指して、永遠に改良してしまうんですけど、それをやっていたら練習ができなくなって、大会で失敗したりする。だから自分たちは、期限を決めてそこからはもう改良しないという時期を作ったりとか、ともかくプロトタイプを早くつくって、練習を重ねていく、という結論を出して、そういう戦略をとりました。
中野
アイデアシートを出す段階でもう写真を載せていたから、最初のモデルができてたよね。週1ぐらいでロボット作ってた。
ルール発表4月ですよね?アイデアシート提出は6月だから・・・。2ヶ月でロボットって作れるんですか?
レイエス
運もあったんですけど、ほんとうにたまたま、まだ08年の競技が「歩行」って予想もされていないときに、遊びで歩行ロボコンを作ってた。ロボコンって11月に終わるじゃないですか、だから12月から3月くらいまでよく阿嘉と、もう一人玉城っていう、スケルトニクスを立ち上げたのがこの3人なんですけど、ロボコン以外のときも、この3人で遊んでた。
阿嘉
遊びで二足ロボットに挑戦したり、誰が一番早く歩けるロボットを作れるか、とかやってたね。
レイエス
そしたらたまたまロボコンの競技課題も歩行で。勝ちに行くっていう前提がなければ1から新規開発していたと思うけど、当時は「優勝」が目標だったので、だったらそのとき開発した技術を使おうと。
(続く)
今もロボコン継続中!(2)