「ひさけん」ロボコン物語(3)〜ABUロボコンは「大会」であり「祭り」です〜 — 久野顕司
高専ロボコンを失意の底で終えたヒサケンさん。名古屋工業大学に進学し、大学ロボコンで頂点を目指します。
”大学で優勝します”
高専ロボコンを卒業してからはどうしていたんですか?
名古屋工業大学(以下 名工大)に進学が決まっていたので、高専を卒業するまではロボコニストが集まる交流会なんかに顔を出して、そこで「俺は大学ロボコンもやる、優勝する」って宣言しました。
じゃあ名工大に編入したときも気合を入れて?
いや、とりあえず大学ロボコンってどんなものだろうかと、ちょっとびくびくしながら入りました(笑)。だって大学って、高専生からすると別物の組織なんですよ。まったく分からなかったので、どんな人がいるんだろう?とか、正直なところ怖かったです。
名工大のロボコン部には高専生が入ったこともあまりなかったらしく、向こうも高専生をどう扱えばいいのか分からなかったみたいです。だからしばらく気まずい空気が漂いました。部室に行っても大学ロボコンは6月が本番なので、4・5月はマシンもできていてやることもなく、あまりしゃべらず・・・けど、とりあえず大学ロボコン2013の「グリーンプラネット」を見に行って、そこでも大会を見に来ていた知り合いなんかに、「来年てっぺんとります」と宣言していました。
部室ではびくびくしながら(笑)。
言うぶんにはタダですから(笑)。
名工大の自由な人々
2014年インド大会に一緒に行ったチームメンバーの第一印象はどうだったんですか?
そうですね・・・北九州高専にいた頃と全然違いすぎて、正直変な人たちだなと思いました(笑)。リーダーの柘植君はよくしゃべるし、操縦者の野々目君は静かな人で、大竹君は一見普通の人に見えるんですけど、会話が噛み合わなかったり(笑)。みんな個性が立ちすぎていて、この先この人たちと1年間やっていくのか・・・と。
北九州の体育会系の”会社”から移ると確かに大分違いそうですね。
体育会系の空気はかけらもなかった(笑)。名工大はザ・自由。来る時間、帰る時間も自由。仕事の仕方も人それぞれで。わりと適当なんです。彼らこそ「あばうたぁ~ず(アバウトな人々)」な感じで。
目に浮かぶような・・・みなさん、ピリピリしていなくて、ほんわりしていた印象を受けました。
ただ自由でも仕事はちゃんとしていて、ロボットに対しては真摯なんです。能力も高くて、特に柘植君や野々目君の回路とプログラムの知識量は半端なかったです。番組では自分が子どもロボットの設計者として紹介されましたが、多分僕が入っていなくてもベスト4は固かったと思います。
「とりあえず作る」
ロボットはどうやって製作していたのですか?高専との違いは?
大学に入ってびっくりしたのが「え!工場使わないの?!」ということでした。高専は日々工場で物を作ってなんぼだったんですが、大学では工場はあるんですけど、みんな「部屋でできるし、工場ってなんか怖い・・・」と 言っていて。確かに大きな機械の前で作業するのは怖いですけど、「いやいや、部室でできるかもしれないけどそんな小さい機械じゃ効率悪いだろう」と。工場に直談判して、機体班のメンバーを連れていったりしました。そういう面で機体班にちょっとは貢献できたかなと思いますし、作業する中でだんだん距離が縮まって、信頼関係を築けたのかなと。
あとアイデア出しの期間が短かくて、一週間もかけなかった気がします。やりかたは、実現性は一回置いておいて、とにかく意見を言い合い、そこで出たアイデアは否定せずに全部書き出します。次にマインドマップで関係性のあるものを繋いでまとめ、機体班の人が「このアイデアはこの機構に使おう」とピックアップしていく。
高専はルールの発表から大会までの期間が大学ロボコンより短いので、アイデア出しに1ヶ月くらいかけて、相当詰めきってから作り始めていたんですが、名工大は「とりあえず作る」っていう方針でした。普段の会話でも名工大のメンバーは「とりあえず」って言葉多いかもしれないです(笑)。どちらがいいかは一概には言えませんが、メンバーの性格や組織の雰囲気によると思います。
みんなでわいわい作る高専時代と違い、名工大は個々で黙々と作業する、と前に話していましたね。
ABUに行ったメンバーは機体班が5人、プログラムが4人、回路が3人と他数名で合わせて10人ちょっとしかいないんです。そのうち機体班のメインメンバーは3年生が3人、4年生が僕1人。2014年は親ロボット、子どもロボットの2台を作る課題でしたが、最初から1台に絞ると行き詰ったときに逃げ道がないので、それぞれ2台ずつ作ろうという話になり、結局1人1台機体を作ることになったんですよね・・・。
それ、けっこう辛いですね。
1人1台は辛かったですね・・・ひたすら作るんです。何度朝日を見たことか・・・ 1人でやると、ノウハウも引き継げないので、あまりオススメはしないです。
作っている間に迷ったりうまくいかなかくなった時はどうするんですか?
原因をあぶり出して、変えやすいところから変えていく。その繰り返しです。
簡単なトラブルの場合は原因がすぐ見つかるかもしれませんが、スランプのときほど何が悪いのかわからなかったりしますよね?
あー、しますね。機体班では分からないようなことは、回路班の柘植君やプログラム班の榑林君に、ここが悪いんじゃないか、とか指摘してもらいました。でもまいっているときのダメ出しはけっこうキツく聞こえますよね(笑)。
「最後はセンスと勘」
ただ自分の設計したマシンを一番わかっているのは自分なので、最後は自分の経験と勘を頼りに調整するしかないです。すごいアイデアや加工技術を持っている人は、長岡技術科学大学なんかにたくさんいますが、僕はそんなにできる方ではないんです。ただ使える技術をうまく組み合わせられたのが2014年の大会だったんじゃないかと。ロボコンで使える技術は限られているので、結局使える技術の組みあわせでロボットを作ります。どうやって組み合わせて配線するか、ということが重要なのかな。
とはいえロボットの製作となると、組み合わせも何通りもありますよね・・・?
ピックアップや組み合わせの判断は、この組み方いい!とかこういう配置いい!とか、これ頭いい!とか 他のマシンを見て勉強できるものだと思います。センスを努力で作る、というと変な言葉ですが、組み合わせのセンスは自分の努力で磨くことができるセンスだと思います。
ここまで設計や製作の話を色々伺いましたが、大会本番については、実は山も谷もなく順調そうでしたね。
そうなんですよ。本番、会場で全く問題が起きなかったので逆に怖かったです。ちょっとメンバーが緊張していて早口になっていたぐらいかなあ(笑)。
ずっと優勝を目標に頑張っていたわけですが、優勝した瞬間はどういう気持ちだったんですか?
ロボットがハシゴを登って旗を立てるとゴールなのですが、その時間が長く感じました。集中すると、すべての時間がゆっくり流れる、みたいなのあるじゃないですか(笑)。そんな感じです。ロボットが旗を立てた瞬間、緊張の意図が切れましたね。ただゴールを「大ロボ優勝」に設定していたので、ABUが続いていることを忘れていたんですよね。僕は院試だったり、メンバーも旅行だったりそれぞれ予定を立てていた(笑)。勝った!やった!・・・あれABU!? インド行くの? みたいな。
ABUロボコンの方も順調そうでしたね。
運も良かったんだと思います。ベトナムが圧倒的に強かったですが、トーナメントの組み合わせで決勝まであたらなかったり。ただ日本と世界大会のフィールドの違いは大きくて、シーソーのクッションが違って3回押せなかったりとか、ブランコのチェーンが鉄製でロボットの磁石がすごくくっついてしまったりとか。ロボットに磁石を使ったのはシーソーから落ちないようにするためだったんですが、それが悪い方向に働いてブランコで時間を食ってしまったんですよね。ただ磁石をとってシーソーから落ちやすくなってしまうのも・・・と、取ることもできず。あれがなければタイムを縮められたと思うんですけど、最後まで判断できなかったですね。ABUに行くチームは、環境の違いに対応できるようにすることが必要になります。
インドでの大会はどうでしたか?
ABUは「大会」であり「祭り」でした、っていうのが一番言いたい。すごく楽しかったんです。みんなわーっと盛り上がって、決勝にいたってはみんな国は関係なく立って応援してくれる。あんな場で試合ができたのはすごく幸せでした。
交流も盛んで、「プログラムくれ!」とか遠慮なく来ます。インドネシアにあげたら 「日本語が入ってる!じゃあ日本語も勉強するよ!」 って言っていて面白いなあと思いました。
2015年の課題はロボットによるバドミントンで例年にない課題ですが、どんな大会になるでしょうか。
どうだろう・・・見る分には楽しそうですよね・・・けどやるのはなあ・・・。制御が強い東大が有力な気もしますし、あるいは操縦を極めた金沢工業大学が職人の技でどんな球でも打ち返すとか。もちろん名工大にも頑張ってほしいですよ!とにかくABUのあの空気は体感してほしいです。すごくいいです。人生が変わります!